はじめに
各家庭いろんな考えのもと子育てをしています。家庭の方針が子供にマッチしていれば子供の能力がどんどん伸びていくことでしょう。
その一方家庭の方針が子供にマッチしなければ、たとえ一生懸命子育てしていても子供が思い通りに育たない事もあります。
また何を優先して子育てするのかは各家庭それぞれです。
今日は「日本の格差社会で疑問に思うこと」について紹介します。
日本の格差社会で疑問に思うこと
たとえば貧しい国に生まれて国は独裁政権。しかも国の行き来ができなければ生まれた時から人生終わっています。自分の努力で何かを変えていくというのは難しいです。
周囲から孤立しないように処世術を学び、死ぬまでひたすら耐え忍ぶだけです。
インドのようにカースト制度がある国に生まれると職業も自由に選べません。インド政府がこの悪しき制度を根絶させようとしているにも関わらずなかなかなくなりません。

その点日本は国民が努力さえすれば必要最低限の生活ができる大変恵まれた国です。
日本は経済的に許すようであれば子供たちは習い事もできるし、学校にも通うことができます。
もしお金がなければ一定の年収までは大学まで学費の補助があり、無料で学校に通うこともできます。
だから日本の場合は「お金がないから何かができない」はただの言い訳にすぎません。
日本は国民自身が自由に住む場所ややりたいことを決めれる。そして職業の選択の自由も認められていて国の行き来も自由。
正直他の恵まれない国と比較したら格差なんて全然ないと感じます。
それなのに体感的に格差がなくなることはないのはなぜなのだろうと疑問に思ったのです。
貧しい人間の凶悪犯罪は昔よりは減っていますが0にはなりません。
格差が少ない日本で格差を抜け出せない理由
日本は格差が少ないにも関わらずなかなか抜け出せない人たちが後を絶ちません。
和を尊ぶ国民性
その理由のひとつが和を尊ぶ国民性だと感じます。これまでどんな努力をしてきたかによって周囲にいる人間がどういう層の人たちかが決まってきます。
もちろん例外もありますが、ある程度の年齢になるとだいたい自分と似たような層と付き合うことになります。
そうするとそこでは協調性が求められるようになります。
みんながみんな努力をする場所に行ければいいけど、そうでなかった場合は大変です。
みんながみんな努力をする場所は流れに乗っていれば上手くいくでしょう。
その中でも自分のやりたい事は自分で見つけるべきではあるけど。
その反対に今まで努力をせず安易に流されてきた人たちと関わることになった場合。
周囲の人間はどうやって人を騙してやろうかと考えて自分が楽することばかり考え、こうする事によって10年後どうなるのかを想像できない人たちに囲まれる事になります。
この場合、協調性がありすぎる場合は仇となって格差から抜けれなくなります。周囲の人間から搾取されて身も心もボロボロになる事もあるでしょう。
やはりどういう人間と付き合うかは大事です。
さいごに
住まいは都内なので周囲にはいろんなバックグラウンドの人がおり、この年齢になると付き合いも複雑化してきたと感じることもあります。30代40代にもなるといろんな人生を歩んでいる人がいます。
あれこれ議論をするのは好きではないので自分と本質的な事が似ている人たちとだけ付き合っていこうと今日も思うのでした。

