「世界のこんまり」でも無理だった・・・

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はじめに

「こんまり」こと近藤麻理恵さん。近藤麻理恵さんは5歳の頃からESSEを読むなど家事が大好きで「世界を片づけで変えていきたい」と語り、その夢を実現しています。

アメリカでも著書が発売され、反響も大きく今や40か国・合計1300万部超の世界的ベストセラーになりました。

そしてNetflixで世界190カ国配信されエミー賞2部門にノミネートしたノンフィクション番組『KonMari~人生がときめく片づけの魔法~』など、数多くの書籍・メディア・講演などで独自の片づけ法を伝える片づけのカリスマです。

世界的に活躍する日本を代表する片づけコンサルタントで起業家でもある”こんまり”。ところがそんな彼女でも成し遂げられなかった事があるというのです。

「世界のこんまり」でも無理だった・・・

こんまりはいつの間にか3児のママになっていました。

「1月26日にアメリカ大手紙ワシントン・ポストweb版が、メディア向けのウェビナーでこんまりさんが『家が散らかっている』と語ったと報じたんです。その上で、『私の時間の使い方は人生のこの時期、この段階の私にとって正しい方法』とも語っていたといいます。すると、他のアメリカ、イギリスの大手メディアも、続々とその内容を取り上げました」

育児中に何を優先すべきかわかっているというのはさすがですね!

その一方で岸田総理は・・・

過去には自著書で「出産後はとにかく時間もないし、余裕もない」「子どもは生きていればまずはOK」と育児の大変さを語っていた。

こんまりでさえ片づけを諦めざるを得ないほど、厳しい育児。自分の窮状を率直に打ち明けたこんまりの株が上がるいっぽうで、ある人物には嬉しくない形で飛び火しているようで……。

それは日本の総理大臣、岸田文雄首相(65)だ。

きっかけとなったのは、1月27日の国会での発言。代表質問に対して、「育児中など様々な状況にあっても、主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押ししていく」と産休・育休中のリスキリング(学び直し)を支援する考えを示した岸田首相だが、“育休中に勉強している時間があるわけない”といった批判が殺到する事態に。

30日の衆院予算委員会で「私も3人の子供を持つ親であり、まず子育て自体が経済的にも精神的にも、また時間的にも大きな負担があるということは経験している」と釈明するも、過去に妻の岸田裕子さんが雑誌の対談で「育児はワンオペだった」と語っていたことから火に油を注ぐ形に。

こんまりとは対照的に、育児への無理解が明るみとなってしまった岸田首相。ネット上では、今回のこんまりの告白をひきあいに岸田首相への批判が相次いだ。

《ほら、こんまりさんですら「自分は寝る前に歯さえ磨ければOK、子どもは生きていればまずはOK、というレベルまで一挙に落ちてしまいました」なんだぞ。岸田、何寝言言ってんだよ》


《こんまりが片付けできないぐらい、子育ては大変なんやで岸田さん…》


《片付け一本でレッドカーペットを歩いたこんまり先生が、ポリシーとキャリアを一旦止める 岸田よ、それが育児だ》


《あの、こんまりが「諦める」というほどの育児のボリュームと対峙する時期に「学び直せ」と圧力をかける岸田文雄という人物は。。。》


《こんまりですら諦めてるってのによくもまあ資格取れるでしょとか言えるなぁと岸田さん…》


《こんまりでさえ片付けを諦める子育て、なのに片手間でスキルアップしちゃえば??とか言ってる政府の見当違い加減》

余裕がない時には最低限何ができていればいいのかだけ考えられればいい!
こんまりからそんな事を教えてもらえたようで肩の荷がおりました。

これさえできれば何とかなる

子供をきちんと育てられなくなる原因は親が何らかの理由で子供の事まで手が回らない、人に助けを求める事ができない状況がほとんどだよね。

育休中で育児に専念して余裕がない時には学び直しや仕事は断った方がいいよ。

私は育休中に仕事を頼まれてからいろいろと考えたので強く感じるよ。

世界的に活躍するスーパーモデルの富永愛さん

確かに今の時代はワーママが増えているよね。シングルマザーでスーパーモデルの富永愛さんも育児も仕事も両立していた1人。ところがあるとき事件が起きます。

冨永は仕事で留守になりがちだったため、寂しさのあまり“お母さんは僕のことなんかどうでもいいんだ。生まれてこなければよかった”と泣き叫んだという。ショックを受けた冨永は休業を決意した。

「休業中は育児に全力投球し、PTAの役員になったり、謝恩会で司会を担当したこともあるほどでした。“ふつうのお母さん”として章胤くんと向き合えたのがよかった、とインタビューでも話していましたね」(芸能関係者)

そして3年がたったころ、“ランウエーを歩くお母さんを見たい”という章胤くんの言葉が後押しとなり、冨永は仕事に復帰。

さらに、17歳となった章胤くんは’22年に雑誌『VOGUE JAPAN』10月号でモデルデビューした。

今や冨永親子は、公私ともに同じ時間を過ごし、“同志”のような存在となっているという。

↓富永愛さんは「 Ai 愛なんて 大っ嫌い」にて子育てのエピソードを書かれています。

二歳のときは、ほとんど保育園。三歳、四歳、五歳のときは、(神奈川県の)橋本の実家。いちばん息子のそばにいてあげなきゃいけないときに、わたしは芸能界の仕事を毎日のようにやっていた。海外コレクションの仕事からは引退したけれど、帰国後も、働かなくてはならなかった。しつけや教育、そして何より、母のぬくもり、愛情というものを、二歳から五歳まで、ほとんど息子に与えてあげることができなかった。不安だった。母親であることに加えて、この子の将来にかかる養育費を稼ぐこと――大黒柱の父親の役も、やらなきゃならない……。不安で不安でしかたなかった。

富永愛の育児心得 3つ

毎日を楽しむこと
息子の笑顔を見ること
当たり前の言葉に感謝をもつこと

子育てでまずは子供たちと毎日楽しく過ごせるのが当たり前を大事にしたいですね。

冨永愛さんの書籍や記事を読んで子育てにおいて何を優先するかは子供の様子を見ながらその時その時決めないといけない。そう考えさせられましたね。

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